今日の朝刊で知りました。
今月16日、アンドリュー・ワイエスさんが、
ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のご自宅でお亡くなりになりました。
91歳でした。
訃報
作品
確かなデッサン力と計算しつくされた画面構成。
そして、
豊かな感性と想像力、
自然や生き物・人間に対する深い愛情。
Bunkamura ザ・ミュージアムで昨年12月に、
初めてワイエス氏の作品を観たときに感じた率直な感想です。
何かに感動し、それを表現したいという思い。
その心情を一枚の絵として、
時間を掛け練り上げ創り上げていく。
ということを知りました。
結果観る側は、
そこに作者の精神性の高さや、
生きることへの真摯な思いを感じるのだと思います。
絵を描くとは、
とても不思議で面白いと感じました。
ワイエスは常に見知った土地で飽くことなく描き続けてきた。それは少年時代から何百回、何千回と自分自身の足で歩んできた土地である。人々もワイエスに馴染み、意識せず「自由」を感じていられることはワイエスにとって大切な要件なのだ。繰り返し歩き、ひとり歩くことで思索し、自分の存在を確認し、自身の中に描くことに対するスイッチを入れる瞬間を待っている。目前の情景を時には注意深く、時には何かを思い描きながら、またある時は遠くから眺めるように、自分の記憶の中に沁み込ませてきたのである。そして、いつものように歩いていても、なにかしら自らの感情に突き刺さるものを感じた時、たとえばいつも見る丘の上を過ぎ去る雲に目をやった時、あるいは重い病気の後に歩いた地面に踏みつけられた草を見た時に、また、見慣れた丘を駆け下りてくる少年を見た時、またある時、道のわきに立つ木の枝が電柱によりかかっているのを見た時、ワイエスは自らの感情の中にきらめくような変化を感じ、絵心が揺り動かされるのである。彼の言葉では、それは「エッジ」であり何か「カチッ」と背後からやってくるものなのだ。
(中略)
「エッジ」とはその時その場所でしか感じられないものであり、得られる熱意や高まりの感情を表現した言葉なのである。
愛知県美術館美術課長 高橋秀治さん 図録より
鉄兜(松ぼっくり男爵のための習作)水彩 松ぼっくり男爵 テンペラ
「747」習作 水彩 747 テンペラ